藤田建次 『この惑星の郊外で』に宛てて、皆様よりコメントをいただいています。
愛のあるお言葉ありがとうございます。
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kenji_fujita_3rdフォルダ
作成日:2009年1月12日月曜日 14:56
変更日:2009年5月28日木曜日 21:31
サイズ:9.54GB
と、ハードディスク上の記録にある。
1/12(月)14:56 というのが最初に藤田君からこのアルバムの各曲の2MIXデータを受け取り、HDDに取り込んだ日時。そして5/28(木)21:31というのがマスタリングまで終了した日時。通常の行程では、2MIXつまりミックス済みのファイルを調整し、曲間を決め、マスタリングが終了するまでの所要時間が大体6~7 時間程度であり、またHDD上のデータのサイズも1~2GB程度であることを考えると、この記録は通常の行程を逸脱していることがわかる。
では何があったのか?
藤田君からの依頼は、彼が完成させた2MIXデータをオープンリールテープレコーダーで変調、トリートメントして欲しいということだった。オープンリールなどといってもゼロ年代も終わろうとする昨今、見たこともない人の方が多そうだが、そこはググって頂くとして、テープレコーダーで変調、トリートメントというのはどういうことであるか、簡潔に書きたい。
要はすでに録音もミックスも終了しているHDDデータ上の楽曲をテープレコーダーに再録音し、再再生し、最終的にまたHDDに再々録音をするのだが、このとき磁気テープに対して過大入力をすれば歪みが生まれ、音量のコンプレッションがかかり、飽和気味な荒れた音像となる。また回転ムラから発生するワウフラッターという揺らぎの効果や、ヒスノイズと呼ばれるノイズの付加や転写など、通常のハイファイ志向では悪しきものとされる要素が音像にまとわりついていく。さらに再再生時にテープの回転速度を上げれば曲のキーが上がったり、テンポが速くなったりということもあるし、録音ヘッドと再生ヘッドの距離差から起こるテープディレイの効果なども得ることができる。
これらは先ほど通常悪しきものとされる要素と書いた通り、楽曲、音像にとって有益なことだけを享受できる訳ではない。むしろまとわりついてくる様々な要素に楽曲が埋没してしまう可能性の方が高く、それらをくぐり抜けるためには焦点を保ちつつも海のような選択肢に潜り、個別にあたっていくしかない。
実際の作業には50年代のAMPEX社製真空管式モノラルテープレコーダーと80年代のOTARI社製ステレオテープレコーダーの2台を使い分け、またはその両方を直列につなぎ再再々録音なども試みた。回転速度もほぼすべての楽曲で個別に調整している。AMPEXの方は揺らぎとノスタルジー、甘いトーンと低音のタイトさに特徴があり、OTARIの方はおそらくこのアルバムのひとつの要素として今後語られるであろう今は亡き記憶の中のシティポップの湿度と弾力を演出する役を果たした。また冒頭と終局のシークエンスでは、テープをスクラッチまたはリバースした状態でスピーカーから再生した音を40年代のベロシティマイクで再録音するということも試みた。これは本アルバムが録音物であるということを極端にデフォルメしアナウンスする行為かもしれない。このマイクが終戦を告げたように。
これらの作業は実験そのものが目的であれば、おそらく短時間のうちに終えることもできたかもしれない。しかしこれら作業や実験を必要とするそれぞれ個の楽曲、個の音像、そして統括する作家の意志というものが大きな山のようにじっと存在し続けたことがなにより重要であり、その山の前では実験もひとつの手段にすぎない。結果的に山を登り、降りるまでにそれなりの時間を歩くことになり、その間に追加の新曲も生まれたりして、皆さんが今回聴くことができるバランスに行き着いたのだと思う。
と、作業工程を知るものとしてこのように書いたが、このアルバムを聴くにあたって頭に入れておく必要は全くないことだ。
庄司広光(soundworm、皿ディスク)
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あと三日で世界が終わるとしたらいったいこの世界で過ごしたどの記憶を持っていくのか
そんなベタな会話がこの15年間カップルのあいだでかわされてきたけれど
そのとき前提になっていたのはそんなことを話すカップルや友達のテーブルの席には当然人間がいるものというものだった
そしていまや話はそんな単純なものではなくなっていると思うのだ
藤田建次のライブを初めて見たのは西麻布のブレッツ
それも真夜中だったがなにかブレッツの奥にいつもいくつかある切り株たちの傍らでほっこりとはじまったそれとそれに小さくサークルで集うリスナーたちが子兎たちのようでなんかいまどきこんな森の動物ゲームみたいな世界が現実にあるのかと思って視界がグニャりと歪んだのを覚えている
その時一瞬
周回遅れの人間たちといくつかの機械種と森の動物たちと
がみんなでお茶してて人間てのは何なのかねェ手遅れだネという
会合が行われている気がした
そこで え?! となって振り返ってよくみると
そこには藤田建次がいてあきらかに人間なように見えた
・・であったのだがその空間には以下のような気配が残留してるようにも感じた
機械種の目録
準生命がこの地球上で愛したもののリストたち
人間の記憶を守るのってはたしていままでの人間なのだろうかってことをその音は問うているような
自分が極私的にこの1年とりかかっているのは非人間のための音楽や非人間によるそれや準生命や機械種のためのそれとかあとある環境の中で例えば異種同士が出会ったらどうコミュニケートするのかとかそういうのが今後いったいどういうふうに続いていくのかとか海の上げ潮は上げ潮なのか超長物なのか急変性形態なのかとかそういう音たちが20年にわたって自分にとってどれだけ切実だったのかってことを把握しなおすことだけれど、そんなことをしているなかこの藤田建次の音たちに接するとそれはあまりに人間ぽ過ぎて自分には光量が強過ぎそして人間の音楽はまぶしすぎる
でも果たしてほんとうにそうか
繰り返して聴いていくとやはりどこかがおかしい・・・実際のところ藤田建次の音世界で泡吹く像はもうこの地球にはないってこと、それが逆にこのアルバムで絶望的にすばらしく潔くはっきりしちゃうんじゃないかと、ある郊外のループはいくらでもどんだけ無数にあってもその像は続いていると思うのは大きな錯覚なんじゃないかと
ある感情の勉強
そして感情と地理は不可分だということと「ローカルミュージック」と「郊外音楽」のこれから地球がまだあるならその地球の未来での意味
いまリハビリ中の自分にとって「エモーションリサーチ」はこれから出てくる機械種たちとどんだけ人間として周回遅れかわからなくなってしまった自分とで一緒に勉強していきたい課題だ
つまり人間ていうのはどういう「感情」を持つ生物なのかってことを
そして思うのは藤田建次も実はそういう人間を勉強している最中の「機械」なんじゃないかってこと
虹釜太郎(360°records)
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朴訥で純粋で、でも確かに背伸びをしている。
そんな少年のきらきらした空想世界に
ぽろっと転がり込んでしまったような気持ち。
愛おしい白昼夢 愛すべき中2病。
森ゆに
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僕は東京の郊外育ち。緑が多いし川も流れているしビルもあるし
繁華街もある。
都会でもなく田舎でもない中途半端な環境に少しコンプレックスがある。
どうせならド田舎で育ってみたかった。
僕が描いた絵は郊外育ちのコンプレックスが混じっている。
似たような環境で育った藤田建次はそれを気に入ってくれた。
高良真秀(イラストレーター)